「信長の野望 Online」の「風雲録」「萌黄」ワールドの徳川家に所属していた者です。
同名のキャラで「山吹」ワールドの徳川家にも一時期所属していました。
現在、夕方フリープレイタイムと言うサービスを利用してゲームにログインしています。
ひっそりとプレイしようと思っていたのですが、再会した戦友がそのブログで、私のことを余りにも押し上げてくれるので、これを機に少しだけ説明をすることにしました。
注…当記事の記述は、おおよそ私の記憶に基づいていますので事実と異なる可能性があります。
1. 初期のこと
飛龍の章だと記憶しているので、2005年にゲームを始めたのだと思います。始めてすぐにレベル1桁の敵から「凶暴な小熊」くらいまでを狩る徳川家の知人ができました。知人が居ないときには多国籍の修得徒党に応募することもしていました。
侍の金策として糸巻き柄を生産して、岡崎の両替前で正座して売り子をしていたこともありました。
その内に、合戦場に入る機会がありました。
印象的なのは、入場してすぐに門を飛び出したら敵PCに叩かれてほぼ即死したことです。転生を受け、数回繰り返してこれは無理だと思って退出したことと、味方PCがなぜか門から外に出なかったと言う記憶です。今思えば敵側に封鎖されていた状況です。
2. 合戦経験のこと
合戦手柄の状況を見ることを知り、名誉欲から「一番槍」を得ようとして逃走術極意の技能を実装して敵陣に突っ込んでいた時期がありました。NPCから逃げながら敵陣に近づいていったのです。
その後は、知人とペアを組んで対人戦をしたり、NPC狩り徒党で行動したりしていました。
初めての対武将徒党の経験は、奪還陣行きの即席徒党でした。未熟すぎて不安だったので、知人も入れてもらおうと交渉すると承諾されました。当時よく一緒に狩りに行っていたものの、ほとんど合戦場には来ていなかったような先輩格の忍者を徒党に入れてもらった挙げ句に私は攻撃する始末で他の党員から「三連撃とかいいから、敵を釣って盾役をしろ」と叱られました。結果、敗退しました。
やはりその後しばらくは武将徒党への誘いも無かったのは当然、色々な意味で時期尚早だったのだと判断されたのだと思います。もちろん自分でもそう考えていました。が、たまに合戦常連にTD(トライアルダンジョン)などに誘われていたのは、育成の望みがあると判断されたということと徴兵検査の意味があったのではないかと思っています。
育ててもらったのはもちろん合戦常連だけではなく、合戦場外の知人もそうです。侍の仕事は、戦闘において敵の準備術(準備と実行の2ターンが必要な技能)を止めることも重要で、戦闘中に表示される行動バーの長さを読んで、みね打ち等の行動阻害技能を入力する必要があります。そのバー読みに苦労していた私を、越中に連れて行き準備術を放つ敵で構成されたNPCの狩りで勉強させてくれた先輩知人もいました。
が、基本としてはいわゆる野良の徒党への応募、募集でレベル上げをしていました。特に合戦インターバルの深夜等にTDの募集を稲葉山で頻繁に繰り返していたのを覚えています。
その間、合戦場に通い、できることはやるということは続けていました。武将徒党のサポート(敵NPCを引きつけたり敵PCを叩く)や、防衛(敵徒党の発見と、自身の戦闘による足止め等)は見よう見まねで覚え、特に繰り返していました。
その内に、武将徒党に誘われるようになりました。当時、合戦場の花形だと考えていたので嬉しく思い、可能な限り参加していました。
「北原白秋のこと・後編」へ続きます。
ラベル:北原白秋



